おばあちゃんが別人になる

私の祖母、当時75歳〜82歳までの間に起こった実話です。

 

おばあちゃんは、私が小さいころから割と病弱で、お医者さんに毎日通うのが日課のような人でした。
いつもお布団で横になっているイメージ。
たまに起きても、近所にお茶を飲みにまわっている日々。
あまり動くことが好きではないのか、家事は私の母がすべてやっていましたね。
当時、やはりすべては「嫁の仕事」とされている田舎の家庭ですから、仕方ないのかもしれませんが、とにかく何もしなかった印象が強いです。
そんな毎日を過ごしていた祖母が、だんだんと行動というか言動というか「何か」違和感を発し始めたのが、75歳。
でも、見た目は私にはすでに85歳をとっくに過ぎている、本当に「おばあちゃん」的な感じでした。
その頃は、私はちゃんとおばあちゃんの年齢をわかっていなかったものですから、勝手に「すごく年取ったおばあちゃん」として、映っていました。
普段から被害妄想が多く、近所に遊びに行っては何かにつけ、私の母と父の悪口を言い、自分はいじめられているなどと、ありもしないことをさもありげに周りに喋り散らしていました。
そのおかげで、私たち親子はしばらくの間、とてもひどい「家族」にみられていたと思います。
(あとで、真の私たちの姿は近所の人にもわかってもらえましたが)
そんな被害妄想・悪口だらけだった彼女が、いつの間にか家族をほめるようになったというのです。
ビックリしました。
家に帰ってきても、あまり話をしなくなりました。
それまでは、近所で悪口をいったものの、家に帰ると取り繕うように、私たちにはいい話ばかりしていました。
それから、しばらくすると、今度は自分を責める行動が始まりました。

あげくには、マグカップで自分の頭をゴチンゴチンとたたき、「死にたい」と嘆く。
その時は、「精神病」かもしれない、とのことで、精神科へ行き、とても強い安定剤を処方され、その結果精神は安定しすぎて、穏やかな優しいおばあちゃんになりました。
そんな生活が、一年続いた後、本格的な認知症が発症してきました。
「財布がない」
おきまりかもしれませんが、おばあちゃんも例外なくそこから始まりました。
父に「お前が盗ったんだろう!」と怒鳴る始末。当然父はそんなことするわけはなく、じゃあ誰かが泥棒に入ったんだとすごい剣幕で騒ぎました。
それは、何度か繰り返しました。
食事もしたのを忘れるようになりました。
うちは私の両親が自営で、工場をやっていたので、祖母の認知症もあまりひどくなかったので、在宅で主に母が看ていました。
徘徊が始まる前に、呼吸不全でたんが喉につまってしまい、82歳で亡くなってしまいましたが、あれよりひどくなったら、母はもちろん、家族もまいってしまったと思います。
皮肉なことに、いつも母には文句をいっていたのに、晩年一年くらいは、母にだけは甘えるようになっていました。
おばあちゃんには、子どもが私の父を含め5人いますが、亡くなる前には、そのうちのだれもわからなかったのです。
わかっていたのは、私の母だけ。
皮肉なものですよね。
孫の私のことも、わすれていました。
でも、逆に私はうれしかったです。

おばあちゃんは、母だけは認知していた。それだけでも、母の長年の苦労は報われると思ったからです。
家族の認知症は、間違いなく家庭が壊れます。
でも、結束できるきっかけであるのも事実です。
笑顔でできる介護。それが一番ですが、それが一番難しいのも現実です。